どうも、節約系ミニマリストのルパン座3です。
先日、「野ブタをプロデュース」という昔のドラマを
見かけて、「野ブタ人間」について思い出しました。
野ブタ人間という現象をご存知でしょうか?
野ブタ人間についての考察を、
山口昌男さんが「文化人類学の視角」という本で書いていたと思います。
最近では、高校の現代文の教科書にもこの本の内容が採用されています。
野ブタ人間とは
パプアニューギニアのグルルンバ族における、人間の狂人化現象のことです。
具体的にどのような行動をするかというと、
①村人の中に、突如、村の中を怒り狂いながら走り回る男が出てくる。
②その男は、目につくものを片っ端から寄越せと要求し、強奪していく。
③周りの人たちは、その男に一切抵抗せずに、言われるがままに物を渡していく。
④その男は、袋にその物をどんどん入れていき、袋がいっぱいになったら、
それを担いで森の中に消えていく。
⑤2、3日するとその男は手ぶらでもどってくる。
強奪したものは、食べつくし、破壊しつくして一切持って帰ってこない。
その男は、その時のことを一切謝らないし、何だったらその時の記憶はない
という設定になっている。
⑥村人も特にその男のことを攻めたり、返ってきた男にその話をすることも無い。
元野ブタ人間の男は、その後、普通の生活に戻る。
⑦そのうち、また誰かが野ブタ人間になって、①~⑥を繰り返す
以上が野ブタ人間の行動パターンです。
これを許容しているというのが、この部族の面白い点です。
野ブタ人間が発生する背景
グルルンバ族には、貨幣経済が導入されておらず、
物々交換により、欲しいものを手に入れます。
※今では観光客相手にショーをして現金収入を得ているそうです。
なので、50年前のグルルンバ族だと思ってください。
物々交換とは言いますが、それは、純粋な経済的な意味では交換ではなく、
贈与の意味合いが強いそうです。
よりたくさん持っているイケている男から、女性や高齢者、子供への施し
という感じです。
そのため、物々交換の場は、こんなすごいものをあげちゃうんだぜ~
俺すごいだろう!というパフォーマンスの場でもあります。
贈与的にモノを渡すことで、恩を売る、関係性を強化するという意味合いも
でます。
つまり、モノをたくさん渡せる人間ほど優れている人間ということになります。
という事はモテるし、皆から尊敬される存在となれるのです。
しかし、誰しもが、そのようにたくさんのモノを渡せるわけではないのです。
もらってばかりで、与えることができないということが、
その男のメンツをつぶし、屈辱感が積み重なっていきます。
イケているやつが悪いわけでもないのに、そいつを逆恨みしたり、
神を呪ったりね、色々やって自己解決をしようとする。
そして、鬱気味になり、周りへの暴力という形で
その抑圧された気持ちをぶつけることで、野ブタ人間となります。
それについて、周りの人たちはあまり怖いものとはとらえていなくて、
「やれやれ、あいつ野ブタ人間になっちまったな、まあ仕方がない。
そういうときもあるよな。とりあえず、これだけは壊されたくないから
隠しておくけど、あとはあきらめるか。
俺も若いときはあんな時もあったからな~」
くらいにとらえています。
いや、むしろ、たまに起きるイベントとして楽しんでいる部分もあります。
なまはげ的な?
ということで、野ブタ人間になった男も、
好き放題やってストレス発散でき、
周りの人達も非日常を体験できて楽しめるという
意外にwin-winな状態になるのです。
これは、食べ物が乏しく、日々生きるか死ぬかに置かれているような
厳しい環境ではないからこそできることです。
ある程度生活に余裕が出てきたら、
人々は、非日常の楽しみにこそ、生きがいを見出すのです。
そういう意味で、
普段あまりモノを周りに与えることができない
イケていない男でも、野ブタ人間化することで、
非日常感を周りに与えることで、存在意義が出てくるということです。
まさに、逆転の発想ですね!
野ブタ人間と似て非なる存在アモック
インドネシアでは、似たような存在として、アモックという
狂人化があります。
野ブタ人間との違いは、
何か悲しいことがあったり、侮辱を受けたりしたときに、
部族の人との接触を断ち、引きこもり、強い鬱状態になる点です。
野ブタ人間よりも、より高いストレスをため込む状態に
自分を追い込んで、アモック状態を発症させます。
そして、これは、ただ村の中を走り回るというレベルではなく、
時に武器を取り、村人を殺傷して回るという状況にまでなります。
そして、本人が殺されるか、取り押さえられるまで、
その殺傷は続きます。
英語に怒り狂うという単語のamokがありますが、
この現象がその語源です。
暖かい地方ほど自殺という概念、発想が無くなってくるので、
辛いことがあった時に、自殺をするという選択肢の代わりに、
そのいら立ち、絶望を周りにぶつけるという行動に出るのだと思います。
ブログ社会、ネット社会に置き換えて考えてみよう
ネットの住民&引きこもりをしているタイプの人で、
急に無差別殺人事件や殺人事件を起こす人間がいます。
秋葉原通り魔事件の加藤 智大
Hagexさん殺傷事件の松本英光などです。
彼らは完全にアモック型の事件を起こしました。
でも、その過程では、他のブログへの荒らし行為、2chでの書き込みなど、
野ブタ人間的行動もしていました。
そこである程度、評価されるとまでは行かないにせよ、
存在を肯定的にとらえてもらえていたら、
結末はちがっていたかもしれないなと思うのです。
荒らし行為をするような人間を、認めろと言うのは暴言のように聞こえますが、
ネットで特に面白いことを書けるわけでもない、
ブログやサイトなんて作っていない、
という人間は、荒らしという名の野ブタ人間行動をすることでしか、
周りに何かを与えられないのではないだろうかと思うのです。
だとすると、それをしっかり非日常のイベントとして、
楽しんで評価していかないといけない。
低脳先生の書き込みを、
「そういう時期ってあるよね」と半笑いで楽しまないといけない。
非常に上から目線な感じがしますが、
野ブタ人間化の可能性は誰だって、私だってあります。
現実社会で辛いことが続けば、せめてネットでだけ荒ぶりたい!
と思うのが人間です。
その荒ぶりたいという感情を、うまくみんなで寛容に
楽しんでいければ、ブログ社会はより良くなる!
ただ、このブログに手斧投げてくるやつは死なす(笑)!
あと、みんながブログ始めて、
自分の意見をきちんと発表できる場を確保することが大事と思う。
2018/08/06記事作成