どうも、節約系ミニマリストのゆるいてんちょうです。
今回は、貴重品の破壊をあえてやることで自分の権威を示すという
アメリカネイティブアメリカンの風習「ポトラッチ」とミニマリズムとの
関係性の考察の記事です。
おいしいポテトチップスである
ポテリッチとは1ナノも関係ありません。
ポトラッチとは
改めてポトラッチを説明します。
これは、アメリカ北西部の先住民族(クワキゥトル族など)の酋長どうしによる、
贈与、消費競争です。
この競争は、多くの部族が集まる祝祭の場において、
3段階のことが行われます。
①相互の部族で交換し合う贈り物の量を競う。
たくさん贈ることができた酋長の方がえらい。
⇒分かる
②自分の部族民に対する大盤振る舞いの量を競う。
自分の部族に対する気前の良さが良い酋長の方がえらい。
⇒まあ、分かる
③自分の貴重品をあえて破壊して、その破壊した財の量を競う
⇒え?マジか・・・頭おかしい。
この勝負はポーカーのレイズみたいなもので、
相手側がやった量と同等あるいはそれ以上のモノを
贈ったり、配ったり、破壊したりしないポトラッチの
敗者となります。
敗者となれば、相手の酋長に従属することになります。
つまり、負ければ終わりの見栄の張り合いチキンレースです。
絶対に負けれらない戦いとなるのです。きびしー!
そのため、競争が過激化しすぎたため、カナダ政府は
1884年~1951年までポトラッチを禁止していたくらいです。
特に③の貴重品や食料を焼き払ったり破壊したりすることは、
ただの意地の張り合いであり、それにより両方の部族で食料が足りなくなり、
どちらにも餓死者が出るという事態にまでなりました。
ポトラッチができるという事は、もともと余るくらい財や食料が
あったはずなのです、それなのに、無用な争いによってそれを失い、
挙句の果てに餓死者を出すことになったのです。
ポトラッチの基本原理は、
「大事なモノをあげたり、配ったり、破壊したりできるくらい
うちは余裕がある、すごい部族なんだぞ。だからうちに従え!」
ということです。
言わんとすることは分かるけど、もったいないよね~
現代でも存在する、日常のプチ「ポトラッチ」
現代でも日常に、①と②のプチポトラッチ現象はありますよね。
①のお互いに同等のモノかそれ以上のものを贈り合うというので言えば、
誕生日プレゼントの贈り合いや、お年玉の贈り合いとかね。
別に額が少なかったからと言って、従属を強いられることはありませんが、
あいつはせこい!と噂されることになりますよね。
だから、みんな嫌々同等のモノを贈り合うのです。
②の自分の部族への大盤振る舞いも、
部下にパ~とおごってあげたりすることが、上司の威厳の保ち方の
1つだったりするわけです。
この大盤振る舞いが足りないと、
また、あいつはせこい!と噂されるわけです。
しんどいですな。
①②のタイプのプチポトラッチは日常にあふれていますが、
③だけはあまり見かけない気がしますよね。
自分のすごさを示すために、あえて自分の大事なモノを破壊する
という行為って見たことないな~
ん?モノを捨てまくる断捨離、ミニマリズムはポトラッチか?
普通の人からすれば財になるようなテレビとか、
高いソファーなどを断捨離していき、
「こんなのも捨てたんだぜ、何も無いんだぜすごいだろ~」
とアピールすることは、一見ポトラッチっぽい気もする。
しかし、こんなに高価なものを破壊しても大丈夫なくらい、
金があるんだぜ~ということを、
必ずしもアピールしているわけではない。
オシャレ系ミニマリストの人で、
新製品が出るたびにガンガン買い替えて、ガンガン旧モデル
を捨てていくという人もいるが、それはポトラッチ的かもしれない。
その時代の最高のモノに囲まれて生きる!
これこそミニマリズム!古いもの、
ちょっとでも気に食わないものなどは捨てるのみ!
新しいものを買い続けるために、俺は稼ぎまくるぜ~
という人とかね。
節約系ミニマリストは、このモノの贈与、配分、破壊の
サイクルから抜け出すために、あえて不便さを楽しんでいる種族なので、
ポトラッチとは関係がないな。
ということで、
一部のオシャレ系ミニマリストはポトラッチ的に
自分の財力をアピールするツールとしてミニマリズムを
使っているが、節約系ミニマリストをはじめとする
大部分のミニマリストはポトラッチの呪縛に囚われてはいない
ということで、結論とします。
2020年9月8日記事作成