節約系ミニマリスト0.5~怒涛の和牛農家就農編

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ふと知的障害のあった同級生のことを思い出した

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どうも、節約系ミニマリストのゆるいてんちょうです。

 

yoshimor.hatenadiary.jp

こちらの記事を読んでいて、同級生で近所に住んでいた知的障害のある男子のことを思い出しました。

 

幼稚園~中学校まで同じ学校だった子で、小1くらいまでは普通クラスに所属していたこともあり、放課後にも一緒に遊んだことも何回かありました。

ただ途中から特別支援学級に移ったこともあり、小2からは特に一緒に遊んだという記憶がありません。学校や道で会えば挨拶する程度ではありましたけど。

 

今思い返してみると、一緒に遊ぶのをやめたきっかけがありました!

 

彼の家に遊びに行ったときに、彼はドラクエか何かをしていたのですが、ストーリーを先に進ませずに、20時間以上、最初の町の周りでただひたすら雑魚敵を倒し続けるという遊び方をしているのを見たときでした。

 

何の感情もなく、もくもくとボタンを連打して敵を倒し続けていました。そして、それをニコニコ見ている彼の母親。

 

小1だったので知的障害という概念もなく、自分の中でうまく整理できなかったのですが、「なんかわからんが、こいつは怖い、やばい」と、途中で彼の家から逃げ帰ったのでした。

今思えば、「先進むんやで」と突っ込んで教えてあげればよかったんだけどね。

とにかく不気味な感じがしてしまったのだ。

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その後小学生時代は、からむことなかったのですが、中学2年~3年にかけてまた遊ぶようになりました。

それは中学の特別支援学級が冷房完備の教室であり、彼を含めて4,5人しか在籍しておらず、そこにはパズルとUNOとかカードゲームがたくさんあったからですw

 

なので、きっかけは忘れましたがいつもつるんでいた友達3名と一緒に、毎回の昼休みに特別支援学級に遊びに行っていました。

キンキンに冷えた冷房の中、他の特別支援学級の子たちも併せて、わいわいと遊んでいましたよ。特別支援学級の先生も遊びに来ることを歓迎してくれて、お菓子も出してくれたりして、いつも感謝されながらカードゲームをできるという最高の環境でした。

 

そういう生活の中で、彼の中にも普通学級で学びたいという感情も湧いてきたようでした。

特別支援学級のほかの子たちは全員年下でしたし、彼よりだいぶ障害が重い子たちだったのもあると思います。

 

そこからあまり普通学級の授業に行きたがらなかった彼が普通学級にも積極的に参加するようになりました。その際は私と3名のうちの2名の3名が同じクラスだったので、その3人でちょいちょいフォローする感じでうまいことやれていたはず。

 

ただ高校受験前の冬休み明けからは昼休みも受験勉強のため、遊びに行かない生活となり、彼のこともあまりかんがえなくなっていました。

 

うちの島では高校は一つのみだったので、名前をかければ誰でも入学できましたので、彼もその高校へ進学できました。しかし、そこには特別支援学級は存在していません。

 

そしてたまたまですが、私を含め友人3名がそれぞれ、島外の公立上位高、自衛隊の学校、高専、鹿児島市の私立高校に進学したため、島の高校で彼をサポートする同級生がいない状態となりました。

 

そのことは分かり切っていたはずなのに、私と友人は自分のこれからの島外での生活で頭がいっぱいで、他の同級生に彼のサポートを頼むことなく進学していきました。

 

そして夏休みの島の祭りの夜、帰省してひさしぶりに4人が集まったときに、「そういえば○○は高校で元気か?」と島の高校に進学した友人に聞いたところ、

「あいつ、数学の中間テスト中にしょんべん漏らして高校やめたぜ」

という衝撃の結末を聞かされました。

 

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テスト中でトイレに行きにくいという状況の中、トイレ行きたいと言えなかったのでしょう。盛大に大放尿となったそうです。

4名のうちだれかがいればそうなる前にフォローしていたと思いますが、それができなかった。

 

しょんべん漏らしたことに気が付いた女子生徒が悲鳴を上げ、あほな男子生徒がはやしたて、教室中が阿鼻叫喚みたいな状況となり、彼は教室を飛び出て二度と学校には戻ってこなかったそうです。あああ。

 

そしてそのまま逃げるように島からも引っ越しをしたようです。

狭い島なので珍しいニュースは一生うわさされますから。

 

その後彼がどうなったかは分かりませんが、中3の秋段階で、島の外の高等特別支援学校などへの進学を強く進めていれば、地元を失わずに済んだかもしれない。

 

フォローをしていたがゆえに、高校でもやっていけるという自信をつけてしまったのだろう。私たち自身も、「あれ、意外と普通に大丈夫だな。高校でもいけるだろ」という感触をえていたし。

 

はんぱなフォローではなく、しっかりと最後までフォローすべきだったのだ。

とりあえず高校卒業したら、家のある島で障碍者年金で生活できたわけだが、それを捨てて外に出たら生活費が家賃分上がってしまう。

人生ハードモードに突入させてしまった。

本当に申し訳ないことをしたと思う。

 

と思っていたら、その後都会でチャラ男になったらしく、10年前に島に帰ってきてからは、観光客のギャルをひっかけてお酒とご飯をおごってもらう&ウフフというヒモ&世捨て人生活を楽しんでいるようなので、何が正解かなんてわからんなという話でした。

もともとかわいい顔をしてはいたんだよね~ 

 

 20210613記事作成

 

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