どうも、節約系ミニマリストのゆるいてんちょうです。
ちょいちょいブログ内では守れていないけど、私の信条としていることの一つに、
「正しいかどうかよりも誰が言うか、どうやって伝えるかのほうが大事」ということがあります。
それこそ大学生どころか働き出して3年目くらいまでは、「数字的に正しいことをお客さんに説明できれば、こちらの商品を買ってもらえる」と本気で信じていました。
いや~恥ずかしい。だいぶ時間がかかった。
正しいかなんて時としてどうでもいいのですよね。
単純に「こいつはむかつく」と思われたら正しいことで信じてもらえない。
逆に「こいつは好き」となれば、多少損してでもそちらから買ったりするわけです。
好き+正しい=100点
好き+間違っている=60点
嫌い+正しい=50点
だったりするわけで。
ということで、正義よりも愛嬌のほうが大事だったりするよね。
やっぱり、むかつくけど優秀なやつは、最終的に「むかつく」のほうに引っ張られて評価されたりするよ。
スティーブ・ジョブズはめちゃくちゃ優秀だけど、めちゃくちゃむかつくやつだから、私個人的にはアップル商品は使わなかったし、今でも持ち物に一つもアップルの商品はない。ファーウェイの任正非会長のほうが好きだし、アップル創業時の仲間のウォズニアックのほうが2億倍尊敬できる。
情報漏洩を考えると中華スマホどうなんだ?という説もあるけど、アメリカだってたいがい頭おかしいからどっこいどっこいだと思う。
ホリエモンは正しいことも言うけど、むかつくという感情がかかって発言をアンチ目線で見られてしまうので、ストレスだろうな~とかわいそうに思うね。
基本周りの人に対していい人でいるべし!という「いい人戦略」は何よりも優先すべきことだ。
最終的には「変なこと言っているけど、あの人が言っているから何か深い意味があるのだろう」と思われるようになると、郢書燕説(えいしょえんせつ)みたいになって良いよね。
郢書燕説(えいしょえんせつ)は、「辻褄の合わないことにもっともらしい理由をつけること」という意味で、『韓非子』が出典とされる。
郢(楚国の首都)の学者が燕国の大臣へ手紙を書いている時、手元が暗かったのでそばにいた小間使いに「明かりを掲げよ」と命じたところ、ついうっかり手紙にも「明かりを掲げよ(挙燭)」と書き、そのまま送ってしまった。
その手紙を受け取った燕の大臣は文の中にある「明かりを掲げよ」という言葉の意味が分からず首をかしげるが、「これは明を尊べという意味だろう。明とは賢人のことで、賢人を重用することが国の発展につながると伝えているに違いない」と勝手に解釈し、燕王に賢者を求めるよう進言し、燕王もその進言を容れて広く人材を集めた。果たしてその政策が功を奏し、燕はよく治まった。
その様子を見てきた小間使いが主人である学者に「ご主人様が『明かりを掲げよ』と諭されたのが良かったようです」と伝えたところ、今度は学者が「『明かりを掲げよ』などと書いただろうか?」と首をかしげた。
ということで、ネットで顔を真っ赤にして「あいつは間違っている、俺が正しい!」とぶちぎれるよりも、そう思われてしまった自分の徳のなさを悔やむべきでしょうな。
20200515記事作成