どうも、海原雄山先生ご推薦、自称「お金」の調教師、節約系ミニマリストのゆるいてんちょうです。
高校生のころに美味しんぼに、はまっていたことがありました。
「なるほど、フォアグラより旬のあん肝のほうがおいしいんだな~」とか、
「アサヒスーパードライは深みのない平坦な味なんだな」と鵜呑みにしていました。
そして、大学生になったらおいしいものを食べるんだ!と心に誓って、高校の寮の臭い飯を食べていました。
でも考えたら、フォアグラもあん肝もあんまり食べたことないわ。どちらもまあまあうまいかな~くらいの感想です。自分のお金では食べないかな。
さて、そんな私がおすすめする美味しんぼの一番の名言というか、名スピーチをご紹介します。
それは、47巻の山岡&栗田の結婚式における海原雄山のお祝いのスピーチを兼ねた至高のメニューの説明のものです。
以下引用
さて、今日のこの総菜料理を披露宴の料理として選んだ理由だが、それは“みずぼらしさ”にある。このみすぼらしさこそが、私がふたりに贈りたいものなのだ。
話は、私自身のことになる。私は、貧乏のどん底で結婚した。
書家としても、陶芸家としても、まったく認められず、といって他に生きる道を変えることもならず。
眼の前にほんのわずかな曙光(しょこう)すら見えない・・・・・・そんな状態の中で、私は結婚した。
あのピカソが、やはり若いときに貧乏のどん底であえいでいた。夫婦ふたりで外出用のズボンが1本しかなかったそうだ。
交代でそれをはいて外出するしかなく、したがってふたりそろって外出することはできなかったという。
私の場合もそれに似たようなもので、妻に着るものの1枚も買ってやれないありさまだった。
妻が、なぜあのときの私と結婚する気になったのか、今でも不思議に思う。その気になれば、他にいくらでももっと条件のよい男と結婚できたのに・・・・・・
前途にまったく何の展望もない貧しい男と結婚するとは・・・・・・
私は、ぜいたくが好きな男だ。美味しいものが好きな男だ。
しかし、そんなことができるどころか、その日その日の生活を維持するのも、やっとのことだった。
結婚して最初の正月だ。私にも、男としての見栄がある。
正月らしい正月を迎えるための金策に、力を尽くした。
しかし、他人に頭を下げることのできない生来の性格がわざわいして、ついにわずかな金も底をついて、正月を迎えるハメになった。
正月にふさわしい料理を作る金もなく、私は打ちひしがれた気持ちで正月を迎えた。
その私に、妻は言った。「世間さまのお正月は、世間様のお正月。私たちは、私たちのお正月を過ごしましょう」と。
その一言は、私の胸をついた。私は、世間並みのことができないくらいで落ち込むほどの愚劣な男だったのか、と愕然とした。
妻は食事のしたくを整えて言った。「さあめしあがれ、ご馳走ですよ」と・・・・・・
それが、今日お出しした料理と同じものだったのだ。
その料理の味は、身にしみた。じつに美味しかった。
私が言うと、妻は喜んで料理を説明した。
(中略 料理は安い食材ではあるが、吟味して買った新鮮なものを、手間暇かけて極上の料理に変えたものだった)
以上が、妻が私にした説明だが、同時に、今日の料理に対する説明にもなったはずだ。
私は妻のその料理を食べて、目からウロコが落ちる思いがした。私もおおかたの食通と呼ばれる人間と同様、それまで、フカヒレやら、ツバメの巣やら、フォアグラ、キャヴィア、松阪の霜降り牛肉など、そんな高価で貴重なものの味をあさるのが、美味の追求だと思っていた・・・・・・
しかし、そうではなかったのだ!大事なのは、感動だ。
至高の口福(こうふく)による感動なのだ!
高価で珍貴な食材を用いた下衆(げす)極まる料理もあれば、安価で平凡な食材を使って至高の口福と感動を与えるものもある、ということなのだ。
そう悟ると、どうだ!世の中の一切の権威と称されるものも、怖くなくなった。何も怖いものがなくなった。
何に対しても、平常心で立ち向かえるようになったのだ。
それは、貧乏であることが少しも怖くなくなったからだ。
貧乏であっても、知恵の使いようでこのような至高の口福が味わえる。それなら貧乏を怖がる必要が、どこにあるか?
一切の妥協をせず、貧乏をむしろ楽しみ、自らの道を追求するだけではないか?そう悟ったのだ!
そう悟ると、不思議なことに私の作品もガラリと変わった。今まで、権威に怯え、他人の批評を気にしていたのに気づいたのだ。
自由奔放、わが道を行くのみ。
するととたんに道が開け、私の作品は次々に世に認められていったのだ。
好運にも、私の作品は世に受け入れられ、経済的にも自由がきくようになり、「美食倶楽部」を設立することもできた。
しかし、その間もその後も、時に仕事の面で妥協をしたり、気に入らぬ仕事を引き受けなければならないハメに陥ったことが、何度もあった。
そのたびごとに、苦しむ私に妻は言った。
「いやなお仕事はやめてください。私たちは、六畳と四畳半のあの貧しい借家から出発したじゃありませんか。またあの借家に戻ればいいことです。何を恐れることがあるのですか?」
人間は、心にぜい肉がつくと臆病になる。平気で妥協をするようになる。
妻のその言葉は世間的な成功とともに心にぜい肉がつき始めた私をいさめる鞭(むち)となり、私を奮い立たせる助けとなった。
妻の言うとおりだ。もとの貧乏に戻ればよいのだし、貧乏しても、至高の口福は味わえる。
それなら一切の妥協をする必要がない。
この料理は、みすぼらしい。しかし、私には高価な山海の珍味を集めたどんな大ご馳走よりも、はるかに価値がある。
私のすべては、ここから始まった。まさに“至高の料理”だった。
私は、このみすぼらしさを若いふたりに贈りたいのだ。その中に、真の豊かさを包みこんだこのみすぼらしさ、を。
きらびやかな外観やご大層な権威などに惑わされずに、本質的に至高のものを求めること、それを、人生に身を処する基本的な節度として堅持すれば、何も怖いものはない。
その心を忘れないために今日の料理を、結婚するふたりは、心に長くとめておいてもらいたい。
海原雄山先生のお言葉を私なりにミニマリストの生き方として解釈しますと、
貧乏を恐れると、生活のためとはいえ、やりたくないゲスなこともしなければならなくなる。
でも、たとえ貧乏になったとしても、人生を楽しむ方法はいくらでもある。
それならば、貧乏を恐れず、自分の正しいと思うことをやり通したほうが良いのではないか。
ということになるのではないかと。
貧乏を恐れなければ、別に自分ひとりなら月収7万円もあれば楽しく生活することができるわけです。
夫婦二人であれば13万円もあればOK。
子供がいるとその難易度が格段に上がるのが問題だな。
子供を虐待して捕まる親は、無職とかふらふらしているやつらが多すぎるんだよな。
でも、そいつらは必要のない無駄なことにお金を使うから貧乏なだけで、きちんとミニマリズムに基づいた生活をしていれば、たとえ貧乏だとしても、そこまで困窮はしないのではないだろうか。
「漂流家族 竹下家の」ようなお金の使い方をするから貧困になるのであってね。
貧しくモノが乏しいだけの「貧乏」は不幸ではないけど、貧しくて困っている「貧困」となると生活が苦しくなる。
貧乏と貧困を分けるものは、「ミニマリズム」特に「節約系ミニマリズム」を実践できている割合によると思います。
「お金をかけずにいかに人生を楽しむか」という節約系ミニマリズム精神で生きるか、
「お金はあるときにあるだけ好きなように使う、無くなったときは知らん。
お金を使うことが一番のストレス発散だ。欲しいものが無限にあるぜ!
お金が無くなったら?借金するか、人をだますかでもするか」という貧困モードで生きるかの違いです。
子供がいる場合でも節約系ミニマリズム精神で生きれば、支出は最低限で抑えられるから、その分を教育費などにお金を回せるのではないだろうか。
以上海原雄山先生のお言葉から考えたことでした。
2019年3月14日記事作成
20200524記事修正