今回はたまたま読んだ中1国語の教科書に載っていた「スズメは本当に減っているのか」という話を読んで、科学的に物事を検証する方法についての意見を書いています。
どうも、節約系ミニマリストのゆるいてんちょうです。
たまたま読んでいた中1の国語の教科書に、北海道教育大学教授で鳥類学者の三上修さんが、わざわざ中学生のために書き下ろした「スズメは本当に減っているのか」という、短い論説文が載っていました。これがなかなか勉強になる内容だったので、ご紹介します。中学生向けの文章と思って、あなどるなかれ。
→おそらくこの本を題材に、
「事実と考えとを別に考えること」、「複数のデータからの根拠を導き出す方法」
をテーマに話を進めています。
「スズメは本当に減っているのか」
話の大まかな流れを説明しますと、
①近頃「スズメが減った気がする」という話を時々聞く
②でもそれは、郷愁から減っていると思い込んでいるだけかもしれないし、周りから減っていると言われて、つい、そうなのかもと思っているだけの可能性もある
③よって、あいまいな感覚や人のうわさを根拠に、スズメが減っていると断言はできない。
④本当に減っているか科学的に検証が必要
⑤科学的な検証とは、誰が調べても同じ値となる客観性のある記録であり、できるだけ長い期間にわたって取られた記録でなければならない。
⑥東京都東久留米市自由学園というところでは、40年以上毎月同じ道順を歩いてそこで見かけたスズメの数をまとめたものを公表している。
⑦同じ場所で40年以上もスズメを観察したデータなんて他にないので、ものすごく貴重なデータである。
⑧このデータは長期間取られたデータだからこそ信頼性がある。2、3年だけ見ればむしろスズメの数は増えていると見える年度もある。しかし、40年の間で上下はあるけど、減少の傾向が見て取れる。
⑨しかし、このデータだけをもって、日本全体でスズメが減っているとは言えない。この地域では減っているということを示すデータでしかないからだ。他にも、同じようなデータを取っている場所が数か所あれば良いのだが、そんなものはない。
⑩代わりに、スズメによる農業被害面積の記録に目を付けた。これは農水省が全国の農家に自己申告やアンケートを取ったものなので、数値の正確性にはやや難がある。しかし、全国規模で長い間調べたデータであるということは非常に大きい。
⑪それによると、スズメによる農業被害面積は減少している。しかし、そもそも農地の面積自体が減ったから、被害が減っただけかもしれない。
⑫そうではないことを確かめるために、第3のデータを調べる。スズメによる農業被害の大部分を占める水稲の作付面積の水位のグラフを⑩に重ねてみる
⑬そうすると、作付面積の減少以上の割合で被害面積が減少していることが分かる。つまり、面積の減少だけでスズメの被害が減少したわけではない。
⑭しかし、別の推論も可能で、農作物にスズメが近づくことをうまく事前に防げるようになった可能性もある。
⑮⑭についてまた調べてみると~という感じで、いくつものデータを重ね合わせていって、初めて「スズメは本当に減っている」という結論に至った。
⑯どの記録も一つでは十分な証拠とは言えない。しかし、複数のデータすべてで減少の傾向があったとしたら、信頼性が高くなる。そうやって、ただの推測であった「考え」を根拠のある「事実」と証明していくことが大事である。
⑰科学的な見方をする場合、常に「こんな可能性はないだろうか」と多角的に見ることが大事。
実際の生活でもこの科学的検証を考えてみよう
たとえば、不食の弁護士である秋山さんの生き方について考えてみましょう。
ほとんどものを食べないという生き方が健康に良いのか?それとも悪いのか?というと、普通に考えると悪いに決まっています。
ただ、実際に不食で生活した人のデータってほとんどないわけです。
なので、100%確実に健康に悪いかは分かりません。99.999999%健康に悪いと思いますが、言いきれません。
とりあえず、秋山さんは個人的には健康だそうです(がりがりで健康そうに見えないけど)
ただ、だからと言って、自分も不食で健康になれる!というのは違います。とりあえず、秋山さんは今のところは健康に生きているという結果でしかないです。
50年とか長期に取ったデータでもないですし、一人だけのデータです。
数百人を対象に数十年データを取ったわけではないのです。
また、健康には影響ないかもしれいけど、仕事には影響を与えているかもしれません。不食をした人間の仕事の成果がどう変化するのかというデータも必要かもしれません。
ということで、健康系の本、心理系の本は売るために衝撃的な題名を付けがちです。
でもそれは、その人はたまたま治ったというだけであって、その方法で他の人も治るとは限らないのです。たばこ1日2箱吸っても100歳以上生きる人間だっているし、無人島に住んでいても肺がんになる人もいるわけです。
謎の民間療法よりも、数十年かけて数千、数万人の臨床データのある医学療法のほうが、信頼性が高いのです。だから私は、エセカウンセラーの心理系の本を読むよりも、まずは病院に行くべし!と思うのです。
ワクチンを打つと死ぬ!ワクチンはだめだ!という主張をする人もいますが、同じことですね。
ということで、何か物事を科学的に検証をしようと思ったら、出典の確かなデータ同士を見比べて法則性を探すしかないのですな。そうなると、論文を読もうということになるのです。
でも、本当に何かを理解しようと思ったら、データを調べることはもちろんとして、足りないデータは自分で数十年かけて追加で調べるという努力をしなければならないわけです。それをやっている研究者や大学の先生方は、やっぱりすごいんだな~と改めて感じました。
大学生のころはとにかく研究が面倒で仕方がなくて、卒論のデータ取りも、本当は順調に進んで、実際は6月で終わっていたけれども9月まで終わっていないふりをしていたくらいです。終わったと教授に伝えたら、「では追加でこれも調べると良い」と他の視点からのアプローチもしないといけなくなるからさ。
今思うと、きちんとやっておいたらもっと面白い研究になったのにな~と後悔しています。
ふと思ったのですが、子どもに自由研究をさせるときも、小3から中3まで同じテーマで毎年研究させ続けるというのも良さそうな気がするな~
2019/11/17記事作成