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高畑勲への宮崎駿の「僕らは精いっぱいあのとき生きたんだ」を読み解く

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どうも、節約系ミニマリストのルパン座3です。

 

火垂るの墓などで知られる監督高畑勲監督のお別れ会が行われ、

盟友、宮崎駿さんのお別れの言葉が公表されました。

 

www.rupannzasann.com

 

その言葉を分析して思ったことをまとめました。

「節子、それちゃうで」というツッコミがあれば、コメントください。

 

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まずお別れの言葉の前に、事前に書いてきた用紙を見ることなく宮崎駿監督が

話し始めたことは、

高畑勲監督の「パクさん」というあだなについての説明からでした。

弔辞の始まりとしては、めずらしい入りですよね。

 

でも、この後、ずっと高畑勲監督のことをパクさんと宮崎駿監督が

呼びかけ続けるので、始めに説明しておかないと、伝わりにくいという

ことで説明してくれたのでしょう。

 

そして、パクさんというあだ名は、普通に考えたら、

良い悪いは置いておいて、高畑勲監督は在日朝鮮人だったのか?

という目で見られる恐れがあります。

そうすると、せっかくのお別れの言葉に無駄なノイズが入ります。

なので、そうではないという説明が必要です。

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 宮崎監督いわく、高畑監督は朝が弱く、いつもギリギリで出社してきて、

会社で買ってきたパンをパクパク食べて、水道水をがぶ飲みしていたとのことで、

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 それであだ名がパクさんになったと説明しました。

 

まあ、やっぱり実際は違うんじゃねえかと思います。

60年代の日本ですから、在日の方々への差別的な言い方はバリバリ使われていた

はずです。

 

金正恩の母親の高英姫(コ・ヨンヒ)さんも在日2世でしたし、

高がつく苗字であり、目が細い高畑監督を、

東映の他のスタッフが朝鮮人みたいだと

差別的にからかってつけたあだ名じゃないかなと思います。

これについては、まったく証拠の無い憶測ですが。

 

お別れの会で、わざわざそのような疑いをもたれるようなあだ名で

呼びかけなくてもいいのにと思いますが、

やはり宮崎監督は、高畑監督の思い出を語る時には、

慣れ親しんだ「パクさん」というあだ名でしか、感情を乗せられないのでしょう。

そのような不器用な宮崎監督も素敵だなと思います。

 

パクさんというあだ名の由来を説明終わってから、事前に書いてきた用紙を

見ながらのお別れの挨拶となりました。なので、ここからはアドリブではない、

事前に考えていた文章になります。

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 高畑監督が亡くなってから、宮崎監督が考えたことは、

「自分にもあまり時間が無い」ということでした。

 

高畑監督が亡くなったことは友人宮崎駿として、もちろん悲しいが、

ある意味それ以上に、

「自分が作品を作れる期間も、あと少ししかないのだ」と我に返る、

監督としての宮崎駿がいます。

 

宮崎監督は、

高畑監督は95歳くらいまでは生きて、あと1、2本くらいは

映画を作ることになるだろうなと漠然と考えていたようです。

そして、それは、自分は死ぬまでにあと2、3本くらい映画を作れるだろう

という根拠にもなっていたはずです。

 

でも、予想より15年も早く高畑監督は亡くなってしまった。

ということは、自分もあと数年で死んでしまうかもしれない。

 

なぜなら、ここ何年間かで健康に気を付けていたのは、

高畑監督のほうだったからです。

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9年前にプロデューサーの鈴木さんと両監督の主治医から、

「友達なら、高畑監督のたばこをやめさせなさい」と深刻な怖い声で

電話があったそうです。

この3名とも、有名なヘビースモーカーでした。

 

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医者が、それほど深刻に忠告してくるのであればと、

鈴木さんと宮崎監督とで、たばこをやめてくださいと高畑監督に伝えたところ、

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 ありがとうございます。やめます。と言って、その日から、

きっぱりと禁煙したそうです。

 

ヘビースモーカーでタバコを止めることが大変なことを、

よく分かっている友人二人からの忠告ということで、これはよほどのことだと

考えて、忠告通りにやめたのかもしれません。

 

忠告した二人のほうは今でもガンガンたばこを吸っています。

 

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だから、禁煙をしていない宮崎駿監督は、

わざと高畑監督のところに行って、たばこを吸って見せてそうです。

なかなかのいじわるです。

それに対しても笑顔で返して、禁煙を継続したそうです。

その禁煙したほうの高畑監督のほうが、先に肺がんでなくなるという皮肉。

 

これで宮崎監督は禁煙するようになるのか、

それとも、禁煙してもどうせ死ぬ!と強気に喫煙を続けるのか・・・・

私は後者な気がします。

 

でも、禁煙しても肺がんで死ぬという結末は、

一筋縄ではいかない脚本を得意とする高畑監督らしい死に方と言えば

そうなのかもしれません。

写真見ていると、宮崎監督も昔よりだいぶやせたようで、少し心配です。

半年に一回は、がん検診に行ってほしいところです。

 

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 タバコの話が終わってからは、

高畑監督との出会いの時の話になります。

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かなり、ドラマチックな出会いとして、宮崎監督は記憶をしています。

上記の写真の通り、小汚い青年二人だったとは思いますが。

ここでもパクさんこと高畑勲と普通言うべきところを、

高畑勲ことパクさんと言っていることが面白いです。

まるで、高畑勲が通名でパクさんのほうが本名のようです。

宮崎監督にとって、高畑監督は徹底して「パクさん」だったのです。

 

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 宮崎監督が労働組合の先頭の一人として、活動をしていたというのは意外でした。

そのような団体行動を苦手としている気がしていたのですが。

単純に若手という事で、おまえらやっとけと先輩に押し付けられたのかもしれません。

 

高畑監督は、学生運動バリバリのころの東大法学部卒ですし

共産主義思想が多少あったようなので、組合の先頭に立ちそうではあります。

 

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 そこで、二人は労働問題についても話し合ったでしょうが、

これからのアニメ、映画についての話を存分に語り合ったのです。

その時の高畑監督の知識の深さに、宮崎監督は感動を覚えます。

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やはり、ここで高畑監督から教わったことが、

宮崎監督の下地になります。

 

 そして、これからのアニメや映画のために、

会社や上司に若手の意見をぶつけ、決してひざを折らずに交渉をした高畑監督。

ひざを折らずに交渉したという作品が、高畑監督の初監督作品の

「太陽の王子ホルスの大冒険」です。

 

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それが、その後の若手のアニメに携わる人たちの道しるべとなったのです。

そのことに対して、宮崎監督は感謝をしています。

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 55年前に雨上がりのバス停で声をかけてくれて、

その後の自分を導いてくれた高畑監督のことを思い出し、

宮崎監督も涙をおさえます。

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そして、「僕らは精いっぱいあのとき生きたんだ」という感動の言葉で終わります。

 

さて、 

あのときとは、どの時までだろうか?

テレビでは、「僕らは精いっぱいあのとき生きたんだ」の前の部分が、

カットれさていたので、その部分を補うと以下の通りです。

この文章をカットされると、ちょっと意味が分かりにくいです。

 

「太陽の王子」公開から30年以上たった西暦2000年に、パクさんの発案で「太陽の王子」関係者の集まりが行われた。

当時の会社の責任者、重役たち、会社と現場の板挟みに苦しんだ中間管理職の人々、制作進行、作画スタッフ、背景・トレース・彩色の女性たち、技術家、撮影、録音、編集の各スタッフがたくさん集まってくれた。もういまはないゼロックスの職場の懐かしい人々の顔もまじっていた。偉い人たちが「あの頃が一番おもしろかったなあ」と言ってくれた。「太陽の王子」の興行は振るわなかったが、もう誰もそんなことを気にしていなかった。

パクさん。僕らは精一杯、あの時を生きたんだ。膝を折らなかったパクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。

 

ということで、太陽の王子ホルスの大冒険までということです。

とすると、1968年。

え~と2018年から言うと50年前ね。古い~

 

 僕らは精一杯、あの時を生きたんだ

と苦労を共有した良い時代は、50年も昔の時代までしかないのか?

いやいや、両監督、スタッフとももう少し一緒にあの時を生きたはずです。

 

東映時代はもちろんすべて入るとして、

Aプロダクションに移籍しての、

ルパン三世テレビ第一シリーズの後半

パンダコパンダ  

の時代は入るでしょう。

 

その後、日本アニメーション移籍し、

アルプスの少女ハイジ

母を訪ねて三千里

赤毛のアン 

をそれぞれの役目で携わった時は、まだ入りそうですよね。

まだまだ若手でお互い精いっぱい生きている。

 

テレコムに移籍して日米合作の劇場大作「NEMO/ニモ」に参加し、

 

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アメリカ主体の製作体制のひどさから

それぞれ別のタイミングで退社したあたりもまだ入る。

 

風の谷のナウシカ成功もまだ入りそう。

 

豪華装丁本「風の谷のナウシカ」(2冊セット)

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その後、ナウシカの利益をつ全部ぎ込んで、高畑監督が監督を務める

柳川堀割物語を製作することにないました。

 

その時に、高畑監督があまりに製作費をつぎ込んだために、

ナウシカの利益がすべて飛ぶだけにとどまらず、宮崎監督の自宅を

抵当に入れてお金を借りてこないといけなくなる始末になりました。

 

それで映画が売れればよかったけれども、すべり倒して

赤字だけが残ることになります。

宮崎監督は、それを挽回するために徳間書店で働いていた鈴木敏夫に相談し、

天空の城ラピュタを成功させようと奔走します。

 

天空の城ラピュタ [DVD]

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経営、お金については高畑監督は全く役に立ちません。

その点では、宮崎監督以上に芸術家気質です。

 

天空の城ラピュタを作るために、優秀なアニメーターを集めなければならない

ということで作ったのがスタジオジブリです。

このころは、「僕らは精いっぱいあのとき生きたんだ」

の時代ではないと思います。

 

やはり、ナウシカの成功までが、

「僕ら」で精いっぱい生きたという時代でしょう。

その後は、宮崎監督、高畑監督、それぞれが別々に精いっぱいに努力していく

時代に入っていきました。

 

なので、宮崎監督が高畑監督を、自分発信のセリフとして、

「高畑監督」と呼ばないのは、「パクさん、パクさん」と先輩として慕っていた

東映時代~ナウシカ作成時までの良い思い出の時のままで、

今でも高畑監督と接しているからなのだと思います。

 

昔の部活の先輩は、そのあと自分のほうが社会的に偉くなったとして、

2人でいるときは先輩じゃないですか。

宮崎、高畑両監督の関係性はそんな感じだったのかな~

と弔辞を聞きながら思いました。

 

ここ30年の監督「高畑勲」ではなく、東映時代に自分に進むべき道を教えてくれた

恩人であり、先輩でもある「パクさん」として、いつまでの尊敬しているのでしょう。だから、監督高畑勲についての内容は、一切弔辞では話をしませんでしたね。

あくまで、先輩「パクさん」との思い出を語っていました。

それもまた、宮崎駿監督らしいと思いました。

 

 

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 というか、ジブリの出版権利もっているのディズニー

なんだな・・・・

宮崎監督までいなくなったら、ジブリ作品の権利は

すべてディズニーのものになっているかもしれませんね。

 

 

2018/05/17記事作成