節約系ミニマリスト0.5~怒涛の和牛農家就農編

投資のための節約。節約のためのミニマリズム。和牛繁殖農家を目指す。

健康だけど生活保護をもらっているやつについて、別に腹は立たないけどな。腹立つならじゃあ自分で代わりのセーフティーネット作ればいいじゃない?

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どうも、節約系ミニマリストのゆるいてんちょうです。

 

ネットニュースやそのコメントを見ていますと、健康なのに生活保護を安易に取ろうとしている無職に対しての風当たりが強いのう・・・という感じがします。

私は大学卒業後、無職になった期間無く普通に働き続けてはいますが、なんとなくそういう人たちに関してシンパシーを感じてはいます。

 

おそらく、自分もそうなっていたかもしれないという思いがあるからかもしれない。

私は大学時代はバイトで稼いだお金と、本来大学で授業を聞いたり研究をしたりして有意義に使うべき時間をネットゲームにそそぎこんでいました。

 

大学卒業後働き出してしばらくして、急に冷めてネットゲームをやらなくなったので、ゲームのし過ぎで会社辞めるというようなことにはなりませんでしたが、下手すればそうなってもおかしくなかった。 

 

ただ、批判を覚悟で元くずとしての意見を述べますと、

仕事をやる気がない、どうにも能力が低い人を下手に採用すると、その会社、取引相手、顧客、同僚上司に多大な迷惑をかけ、必要のない無駄な仕事を発生させるだけなので、生活保護を取らせて家でゴロゴロしてもらったほうが世の中のためになるかもしれないのです。 

 

ネットからの無駄な知識量だけは多いので、クビにしようとしたら労働者の権利を振りかざしてきたり、あることないことネットにウソ情報を拡散したりもしかけないしだな。

 

どうでしょう。みなさんの職場にも「こいついなければもっと仕事楽なのにな~」という人がいないでしょうか。そういう人に生活保護を与えて退場していただけれるのであれば、多少税金が無駄になったとしても会社の業績が上がってその分をカバーできるのではないだろうか。

 

あとその人がその仕事では無能だとしても、他の分野なら有能なことは多いわけです。

だから健康だろうとも、いったん生活保護を取って、ゆっくり体と頭を休ませたうえで、次の適職を見つけさせたらよいのではないだろうか。

 

加えて生活保護をもらえば医療費がタダになるわけだから、精神病んだら生活保護をもらいながら気長に直していけば良いと思う。そして寛解したらその経験を世に発信していってほかの苦しんでいる人を救っていけば、その人が寛解して社会に復帰して税金を納めてくれるだろう。

 

精神病んだり生活苦で自殺でもされたら、その後納税していたはずのお金がぱ~になるわけだから、数年生活保護取らせるくらいは積極的にやっていっても良いだろう。

自殺されたら残された人の元気も奪うわけで、トータルかなりの損失になる。

 

問題は健康なのに数年どころか一生、生活保護でのらりくらりやるやつだろうけど、私としてはそれはそれでよいのではないかなと思う。

最悪、そうやってでも生きることはできる!ということが世に広まれば、会社辞めて次が見つからなくなってホームレスになったらどうしよう・・・という心配をして、ブラックな状況でも働く人が減るだろう。

 

ブラックな状況で働いている人がブラックな会社を延命させ、人件費がかからないために普通の会社より安い値段で商品を出すことができ、普通の会社が価格競争に負けて逆につぶれるという1面もあるわけだから、「最悪生活保護で数年ゆっくりするか」という意識的なセーフティーネットがあるかないかは大きいと思うね。

 

ということで健康だけれども時として、人によっては生活保護をもらいに行ってもOKだと思う。どうせ政府の金はみんなが一時渡してあるお金でしかなく、政府の金ではない。国民の金なのだからね。

 

3年半したら私は今の会社を退職して実家の和牛繁殖業を継いでいくわけだが、欲しい物もないので、正直どうころんでも余裕で生活ができる。5年もすれば毎年、年数百万円余剰資金が生まれてくる。それを使って~

 

「牛5頭と最低限の土地屋敷で自給自足しながら1日の労働時間2時間のみで生きる」という、正職とニートの間のような働き方を提案できるような団体を作りたいななどとも考えている。

今はまだしもあと30年したらうちの島では空き家もたくさん出るだろうから、それを安くで買い取って自力で直しながら小規模農業で生活をするのだ。山奥ニートならぬ、島ニートだ。

 

「山奥ニート」やってます。

「山奥ニート」やってます。

 

 

ネット社会のおかげで対してお金が無くても人生楽しめるのだから、年収100万円自給自足生活へ無職ニートは移行していき、生活保護をもらわんでもそれがセーフティーネットになる感じをイメージしたい。

 

おそらくこのまま私は、農家の長男でありながら結婚もせず、子供も作らず、お金と先祖代々から引き継いだ土地だけを残して死に、そんなに親交があるわけでもない従兄弟の子供がそれを引き継ぐことになりかねない。

 

それよりかは大きくした農場を分割して働きたくない人々に分け与えて、「ただでくれてやるから、とりあえずうちの代々の墓守だけはみんなでやってくれ」というお願いをすることを考えているよ。

世のためにもなるし、地獄で先祖に会うときに多少の弁解の余地を作れるだろう。

 

私が生活保護をもらわないで生きていけている理由には、親が大学に行きたくなるように教育してくれたこと(実家が大学進学時に破産し掛けていたので、授業料半額免除と奨学金とバイト代で私が自力で払ったので大学在学時の費用的な支援はないけど)、今の仕事に適性があったという運も大きい。

あと多少の無茶をしても壊れない体の丈夫さと、きつい目に遭っても「ヤバい、ブログのネタになるなこの不幸」と変換できるブロガー脳を獲得したという運もある。

 

中高柔道をしていたことで、「むかつく顧客がいても、最悪首絞めて気絶させればいいか」と考えられるし。

そういう選択など諸々全部あわせても運の要素が大きいのだ。

 

だから幸か不幸か仕事やる気になれないという人がいたとしても、まあそういうこともあるだろうと思えるよ。

仕事はお金もらえながら暇つぶしができるという良い面もあるからね。それを捨てて生活保護をもらうと暇は暇だろう。

 

まあ、そんな感じだ。

 

20201220記事作成

 

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